みなさま、こんにちは。
20年前のパリとここ5~6年以来のパリ。。
昔は良かったな。。などと思ったりします。
パリに生まれ、育つ人も、同じ事を思うのだろうな。。
そうなると東京は、天国に見えます。
そんな東京も、パリの後を追うように、
似たような事件が多くなりました。
もしこれが。。
外国人ばかりが加害者になり、日本人を狙っていったら。。
被害者も外国人も多くなっていったら。。
身の回りの事件が、他人事ではなくなります。。
そしてまるでロトに当たったか、外れたかのように、
居合わせなくて良かった。。などと思うだけになります。
聖書という本に書いてある、罪人。。という言葉、
昔はなんとなくこの言葉は、暗い気持ちになるから嫌だな。。
と思っていました。
私は、どこの宗教いも入っていない者ですが、
生きるために私たちが毎日やっていること。。
空気を当たり前のように吸って、
他の命をいただいて、それを食していること。。
これは、立派な罪人だと思うようになりました。
大抵の植物は、存在するだけで空気をきれいにしたり、
虫は、花粉を運んで植物を増やしたり、
動物の食するものになったりします。
動物は、自分の身体を食として捧げたり、排泄物で土を肥やしたり。。
ちゃんと還元しています。
人は、存在するだけで、空気をきれいにするでしょうか?
自分のお肉を食べさせるような事をするでしょうか?
人は、なにをやっているのでしょう。。
何をもたらせるのでしょう。。
まだ食べられる命を賞味期限というもので縛り、
命をクスリ漬けにして、「食べ物のようなもの」を作っている今、
「安全」とはなんでしょうか?
命を物のように扱っています。
感謝は、命を捧げてくれる野菜や果物やお肉。。
それを育ててくれている空気、地球、宇宙。。
人ができることは、「感謝のこころ」なのかもしれません。。
冷蔵庫のすみっこに置いて忘れてしまった食べ物を
腐らせて捨てる時は、心が痛みます。
「いただきまぁす。」
この意味を聞かれて、訳すのに苦労をした事があります。
直訳すると「もらうよ。」「食べるよ。」という事になりますが、
「いただきます。」は、誰に対して、何に対して言っているのか、
なぜわざわざ食べ物を目の前にして、「食べるよ。」と言うのか。。
そしてまた「ごちそうさまでした。」もいい言葉です。
私は、罪を持っている存在ながら、この言葉たちのすばらしさに
少し誇らしげな気持ちもするのでした。
どんな状況でも、こういった言葉を発していきたいものです。
食するために捧げてくれた命は、
忘れがちな感謝の心を繰返し教えてくれているようです。
おすすめの記事